さよなら2021年
2021年のスタートは恩師からの手紙だった。年賀状ではなくシンプルな便箋の手紙。
その先生は国語の先生である。特に言葉を大切にしている職業だ。そしてその先生は私の数少ない " ミスチル仲間 "でもある。私が在学していた当時からよくMr.Childrenの歌詞について、やれあの曲のあそこはどれそれこういう意味だ、この歌詞はあのことを示しているに違いないといろいろと話をした。今でもメールや手紙でやり取りをしている。
そんな恩師からの手紙。中にはとある歌詞が引用されていた。
「でもね僕らは未来の担い手、人の形した光」
Mr.Childrenの「箒星」の一節だった。
その手紙を読んで、なんとなく「この曲は今年のテーマソングだな」と感じ、今年は事あるごとに「箒星」を聴いてきた。
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時は変わって、クリスマスイブ。
Mr.ChildrenからのクリスマスプレゼントがYouTubeに公開された。「誰も得しないラジオ(仮) Special」と題されたそれは、Mr.Childrenの4人(+SUNNY)が、優しく楽しそうに話し歌い奏でる、正しく"スペシャルな"映像だった。
そこで演奏された1曲目。それは私の2021年のテーマソングである「箒星」だった。
ビックリした。こんなタイミングで彼らが歌う「箒星」を聴けるなんて考えてもみなかったから。
そして少し笑った。こんなこともあるんだな、と。
その後は自分でもビックリするくらいのスピードで先生にメールを打った。普段なら相手が国語の先生ということもありヘタな文を書けないなと思ってきっちり校正するのだが、この感情は何より鮮度が大事だと思い大胆に書き連ねた。
こんなこともあるんだな。
いや、別に大して騒ぎ立てるようなことではないのかもしれない。たまたま先生が引用した歌を、たまたまMr.Childrenの誰かが「やろうよ」と言っただけの話である(「やろうよ」と言っただけかは定かではないが)。
けれども。この1年の流れにストーリー性を、偶然を、運命を感じているのは紛れもない事実だ。
2021年もいろいろあった。世界は相変わらずコロナ色だったし、個人的にも頭を悩ませることが少なくない1年だった。そしてその都度、しつこいくらいに"2021年のテーマソング" を聴いてきた。
なんてことない現象にわざわざ意味を持たせるなよ、という意見もわかる。私だって何でもかんでも結びつけてるわけじゃない。でもたまには、こういうのもいいんじゃないかと思った。
「箒星」を選んで引用してくれた先生、「箒星」を選んで聴き続けてきた私、そして「箒星」を選んで演奏してくれたMr.Children。なんだかみんなが繋がっているような気がしたから。
この間見たテレビ、「プロフェッショナル 仕事の流儀」で俳人の夏井いつきさんがこう言っていた。
「誰かと誰かがわかりあえるのは、言葉以外にありえない」
「言葉でしか、人と人とはつながれない」
これを聞いて、「あぁ、やっぱりそうなんだな」と思った。そしてそれは裏を返せば、「言葉さえあれば人と人とはつながっていられる」ということだと捉えた。
コロナ禍で人との繋がりが希薄になったと言われている。少しずつ以前の姿が戻ってきたとはいえ、まだまだ明日のことは決してわからない。
それでも、繋がっているための道具はみんなもう既に持っている。問題はどう使うか、どう受け取るか、どう向き合うか、だ。
せっかく使うなら、私はポジティブに使いたい。前向きに言葉を紡いでいる限り、繋がりは消えない。
「何にも縛られちゃいない、だけど僕らつながっている」
2021年が終わる。
2022年もこじつけて、信じて、繋がっていたい。
そんなことを考えている。