Enu's,Inc. Report

冬になれば夏を、夏が来れば秋を思う。

まだだよ、まだいくよ。

「生き延びてしまった」と思わされることが2011年以降度々あった。
テレビの映像を見て、遺族の方の話を聞いて、実際に被災地に足を運んで。

 

わかっている。そんなことを思うなんて、本当に辛い思いをしてきた方々に失礼な話だと。
そしてちっぽけな男がそんなことを考えたところで何の意味もないのだと。
わかってはいる。
わかってはいるのだが、どうしても思ってしまうことがある。「自分は不用意に生かされてしまっているのではないか?」と。

 

私は11年前、仙台であの地震を経験した。皿は割れ、棚は倒れ、壁も壊れた。

 

でもそれだけだった。
家族は皆無事だった。住む家も大した被害にはならなかった。ライフラインも割と早い段階で復旧した。
あの絶望の状況の中、恵まれていた、と思う。

 

だからか、自分が「被災者」であるという意識は年々薄まっている。


確かに当時は大変だった。大変だったけれど、家族を、故郷を、帰る場所を失った人たちを沢山見てきて、私ごときが「大変だった」なんて、もう口が裂けても言えない。

 

悶々としていた。
テレビの映像を見て、遺族の方の話を聞いて、実際に被災地に足を運んで、その度に涙が目に溜まる。でもその涙が、なんだか偽善的に思えて、素直に流れていかない― そんな経験を何度もした。
「俺が代わりになれれば…」なんておこがましいことも頭を過った。
力になりたいのに力になれない自分の力のなさを呪った。

 


そんな中迎えた去年。震災から10年。
私が大好きな人からとある言葉を貰った。


それは「forgive」。
日本語で言うところの「許す」だ。
TBCの音楽特番「音楽の日」のために、櫻井和寿小林武史が作ったBank Bandの曲である。

私が大好きな人は、いつでも自分にぴったりな言葉をくれる。「forgive」という言葉はまさに"それ"だった。

 

 

あぁ、自分は許されたかったんだ。
生き延びてしまったことを、力になれないことを、そんな想いを背負って生きていくことを。

 

 

櫻井さんとMISIAさんの歌声は私に「許し」をくれた。この曲を聴いて、自分の中にあったネガティヴでマイナスな感情が、少しだけ解放された感覚がする。

 

確かに悶々としていた。
でも本当は、何をすべきか、早々に気がついていたんだと思う。
生きていくしかない。
不用意だろうが、綺麗事だろうがなんでもいい。
日々を生きていくしかない。
ネガを少しでもポジに変えるべく、動いていくしかない。

 


「リメンバー・ミー」というディズニー映画は、死者の国の話が登場する。そして死者の国には「2度目の死」という概念がある。それは現世で生きる人たちに、忘れられたときに迎えるもの。(※実際のストーリーとは少し解釈が異なっています。是非とも映画を観ていただきたいです)


11年という長い月日を経て、「2度目の死」を遂げてしまう人がたくさんいるような気がしている。

 

 


忘れたくない。こう考えることすらも、もしかしたら偽善的なエゴなのかもしれないけれど、やっぱり私は、いなくなってしまった人たちを忘れたくない。それは私たちにもできることだと思うから。

 

いろいろな人と話をしてきて、中には「もうあんな辛かったこと、忘れてしまいたい」と言っていた人もいた。それは本心だと思う。「忘れない」という言葉がある種標語のようになっている側面もあると感じる。「忘れたい」と願う人の気持ちも尊重したい。
そして3月11日を"ただの1日"にしたい人だっている。「3.11が誕生日なんだけど、世間のムード的に祝ってもらえるような雰囲気じゃないんだよね」友人が言っていた。
3.11への向き合い方は人それぞれでいいと思っている。みんなで同じ方向を向く必要はないし、足並みを揃えなくたっていい。それぞれの歩幅で、東北を想ったり、想わなかったりすればいい、と思う。

 

 

だからこそ。
その分を、背負える人で背負っていこう。 "いつも" は難しいかもしれない。

でも毎年この1ヶ月くらい、
いやこの1日、今日くらいは。
思い出して、自分事として東北に思いを馳せたい。それが "生き延びてしまった" 私にできることだと思っている。

 

 

昨日を許して、次の僕らへと。
自分を許して、次の未来へと。


涙を連れて飛んでけ、次の僕らへと。

 

Bank Band「forgive」より

 


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